
メルセデス・ベンツ 300 SEL 6.8 AMGは、4ドアの高級サルーンで24時間レースに出て、総合2位に入った1台です。
1971年のスパ24時間。相手は競技のために作られた本物のレースカーばかりでした。
作ったのはメルセデス本体ではありません。当時はまだ社外の小さな会社だったAMGです。
この1台の結果が、AMGという名前を世界に知らせました。いまでは誰もが知る高性能ブランドの原点が、なぜ4ドアの高級車だったのか。その理由から見ていきます。
グランツーリスモ7には「メルセデス・ベンツ 300 SEL 6.8 AMG '71」として収録されています。レジェンドカーディーラーで買える1台です。
この記事では、AMGの成り立ちとベース車の意外な誕生秘話、レースの中身、実車がいまどうなっているのか、中古相場、そしてGT7での走らせ方まで、まとめて掘り下げます。
※収録内容はアップデートで変わることがあります。最新は公式サイトでご確認ください。
町工場が、24時間で名前を刻んだ
AMGという名前は、いまでこそメルセデスの高性能モデルを指す言葉です。
ところが1971年の時点では、社内の部署ですらありませんでした。
ここから辿るのは、1台の車の物語であると同時に、名も知られていなかった小さな会社が世界に名前を刻むまでの物語です。ベースになった車の誕生から、レースの中身、そして実車のその後まで、順を追って見ていきます。
①|AMGは、メルセデスの部署ではなかった
AMGが生まれたのは1967年です。
創業したのは、メルセデスでレース用エンジンを手がけていたハンス・ヴェルナー・アウフレヒトとエアハルト・メルヒャーの2人でした。アウフレヒトが1966年末にメルセデスを離れ、メルヒャーを誘って始めた事業でした。
社名の由来は身も蓋もありません。
A=アウフレヒト、M=メルヒャー、G=グロースアスパッハ(アウフレヒトの出身地)。3つの頭文字を並べただけです。正式には「アウフレヒト・メルヒャー・グロースアスパッハ エンジニアリング事務所 レーシングエンジンの設計と開発」という、いかにも事務的な名前でした。
始まりの場所も、立派な研究所ではなくブルクシュタールという小さな町の古い製粉所の建物でした。現在のAMGの本拠地であるアファルターバッハへ移るのは、1976年になってからのことです。
仕事の中身は、メルセデスのエンジンを預かって速くすることです。いまで言うチューニングショップに近い立場でした。
創業からしばらくは、300 SEをベースにしたレーシングカーを組み、ヨーロッパのツーリングカーレースに参戦する日々を送っていました。そこで手がけたチューンドエンジンは評判を呼び、プライベートチームの間で「AMGに頼めば速くなる」という認知が少しずつ広がっていきます。300 SEL 6.8は、そうした下積みの延長線上に現れた1台でした。
②|ベースの300 SEL 6.3にも、隠れた誕生秘話があった
300 SEL 6.8 AMGのベースになった300 SEL 6.3には、もうひとつ意外な誕生秘話があります。
作ったのはAMGではなく、メルセデス社内のエンジニアエーリッヒ・ヴァクセンベルガーでした。
ヴァクセンベルガーは、最上級リムジン「600」用の6.3リッターV8エンジンを、社内の倉庫から持ち出して普通の300 SELへ積んでみるという、いわば個人的な実験を始めます。
この組み合わせが上層部の目に留まり、正式な開発として認められました。そして1968年のジュネーブモーターショーで、事前の発表もないまま突然お披露目されます。会場は騒然となりました。
250PSで最高速220km/h、0-100km/h加速は約8秒とされます。2トン近い車体を、当時のスポーツカー並みに走らせる1台でした。
ホイールベース2,850mm、全長5,000mmという大柄な数字を見ても、これがコンパクトなスポーツカーではなく、正真正銘のフルサイズサルーンだったことがわかります。AMGはこの土台を、さらにレースの世界へ押し出すことになります。
③|4ドアの高級車を、レースカーに仕立て直した
AMGは1970年、この300 SEL 6.3をベースにしたレーシングツアラーを作ることを決めます。
手を入れたのは、エンジンだけではありません。
- 排気量を拡大。ボアを広げて6,332ccを約6,835ccへ。ストロークは元のまま、圧縮比を上げ、カムシャフトを専用設計に、燃料噴射も再セッティングした
- フロントドアをアルミに置き換え。ただし4人乗りのまま、カーペットも木目のダッシュボードも残した
- トレッドを広げ、太いタイヤを履かせた。フェンダーは外へ張り出す形になった
- 塗装は赤。大柄な車体に張り出したフェンダーという姿と合わせて、「赤い豚」というあだ名がついた
高級サルーンの内装をほとんど残したまま、中身だけレースカーにした車です。
この不釣り合いさが、そのまま愛称になりました。改造の前後でどれだけ変わったのかを並べると、AMGが何に手を入れて何を残したのかがよりはっきり見えてきます。
| 項目 | ベース:300 SEL 6.3 | AMG仕様:300 SEL 6.8 |
|---|---|---|
| 排気量 | 6,332cc | 約6,835cc |
| 最高出力 | 250PS | 420〜428PS |
| ドア(フロント) | スチール製 | アルミ製に置き換え |
| トレッド・タイヤ | 市販車標準 | 拡幅・太いレース用タイヤ |
| 内装 | フル装備の高級サルーン仕様 | カーペット・木目パネルとも維持 |
| 用途 | 市販の量産セダン | 耐久レース参戦車 |
| 正式名称 | メルセデス・ベンツ 300 SEL 6.8 AMG(W109型ベース) |
|---|---|
| 製作年 | 1971年(ベース車の300 SEL 6.3は1967年〜1972年) |
| エンジン | M100型 V型8気筒 SOHC 自然吸気(6.3Lから拡大) |
| 排気量 | 約6,835cc(ベースの6,332ccから拡大) |
| 最高出力 | 428PS/約422hp(資料により420〜428と表記が分かれる) |
| 最大トルク | 約600〜610Nm |
| 変速機 | 市販車と同じ4速AT説と5速MT化説の両方が資料に見られる |
| 駆動方式 | FR(後輪駆動) |
| 車両重量 | 約1,635kg(GT7表記。実車資料では1,600kg台) |
| 戦績 | 1971年スパ24時間 クラス優勝・総合2位 |
| 愛称 | Rote Sau(ローテ・ザウ/赤い豚) |
| GT7での分類 | Gr.X/PP517.12/レジェンドカーディーラー Cr.700,000 |
※出力・変速機は資料によって数字や記述が分かれます。理由はFAQで説明しています。
④|1971年7月24日、スパ24時間
レースの舞台はベルギーのスパ・フランコルシャン。
ドライバーはハンス・ハイヤーとクレメンス・シッケンタンツの2人です。
予選タイムは4分14秒5で5番手。
前を固めたのは、ポールポジションのシボレー・カマロZ28(グロールズ/ホフマン組)、2番手はBMW2800CS(ラウダ/ラルース組)、3番手はフォード・カプリ2600(グレムサー/ソレル-ロイグ組)、4番手はBMW2800CS(アールトネン/ケレナーズ組)でした。
2番手を走ったBMWのドライバーの1人、ニキ・ラウダは、この2年後にF1へ参戦し、のちに3度の世界チャンピオンになる人物です。
4ドアの高級サルーンが、こうした本格的なレースカーの中に5番手で並んでいたわけです。
そこから24時間を走りきり、クラス優勝・総合2位でチェッカーを受けました。
総合優勝はワークスのフォード・カプリRS2600です。周回数は優勝車が311周、300 SEL 6.8は308周。差はわずか3周でした。タイヤと燃料のために止まる回数が多かったことが響いた、という見方もあります。
⑤|60台あまりが競った"クラス"という仕組み
1971年のスパ24時間には、約60台がエントリーしました。24時間を走りきって完走扱いとなったのは19台、うち順位がついたのは18台だけです。平均速度は時速182.69kmという記録が残っています。
レースはグループ2規定のもとで争われ、排気量ごとにいくつかのクラスに分けて競う形が取られていました。300 SEL 6.8は、その中でもっとも排気量の大きい2.0リットル超クラスに入り、そこでのクラス優勝を果たしています。
このクラスは、この年のヨーロッパ・ツーリングカー選手権を通して見ても激戦区でした。シーズン全体では、フォード・カプリRS2600が同じ最大排気量クラスで8戦中6勝という、ほぼ独占に近い強さを見せています。その牙城で総合2位にまで食い込んだことが、300 SEL 6.8の結果をより際立たせています。
⑥|なぜ、この形でのレースは一度きりだったのか
これほどの結果を残しながら、AMGはこの排気量のまま同じ舞台へ何度も戻ることはありませんでした。
理由は、レースを統括する側のルール変更です。
1971年シーズンの終わりに、参戦していたヨーロッパ・ツーリングカー選手権は排気量5.0リットルを超える車の参戦を禁止する規定に変わりました。6.8リットルの300 SELは、この規定改定によって同じ形でのワークス参戦の道を絶たれた形になります。
短い期間ではありましたが、AMGはこの1台で「メルセデスのエンジンを本気で速くできる会社」であることを世界に示すことに成功しました。
実際、この結果のあとの1970年代には、ヨーロッパをはじめとする各地の顧客から、メルセデス車のチューニングや個性化の依頼が着実に増えていったといいます。レースの舞台こそ閉ざされましたが、300 SEL 6.8がもたらした知名度は、そのままAMGを1台のレースカーの会社から、顧客のための本業として成り立つ会社へと押し上げる原動力になりました。
⑦|内装を残したことが、後のAMGの商売を先取りしていた
AMGがこの車で見せたのは、速さだけではありませんでした。
カーペットも木目のダッシュボードも残したまま、ふだん使いの高級車の姿を保ったままレースで戦って見せたことには、もうひとつの意味があったと考えられます。
1967年に生まれたばかりのAMGは、当時まだ社外のチューニングショップです。仕事の中心は、メルセデスのオーナーが持ち込んだエンジンを速くすることでした。300 SEL 6.8は、その延長線上にある1台でした。「お客さんの日常づかいの1台を、ここまで速くできます」という、営業活動そのものを兼ねたレースカーだったとも見られます。徹底的に軽量化した専用のレーシングカーを1から作るのではなく、市販車の姿を残したままの改造にこだわったのは、この車がAMGにとって半分は名刺のような役割も持っていたからかもしれません。
⑧|系譜|AMGが「メルセデスの中身」になるまで
1971年の時点で社外の会社だったAMGは、そこから30年以上かけてメルセデスの内側へ入っていきました。
並べると、この300 SELがどの位置にいるのかが見えます。
| 年 | できごと |
|---|---|
| 1967年 | アウフレヒトとメルヒャーがAMGを創業。社外のチューナーとして出発 |
| 1971年 | 300 SEL 6.8 AMGがスパ24時間でクラス優勝・総合2位。名前が世界に知られる |
| 1971年末 | ヨーロッパ・ツーリングカー選手権が排気量5.0L超を禁止。同型でのワークス参戦は終了 |
| 1990年 | メルセデスとAMGが協力契約を結ぶ。正規の販売網でAMG仕様が扱えるようになる |
| 1993年 | 協力関係から生まれた最初の共同開発車、C36 AMGを発売 |
| 1999年 | ダイムラー側がAMGの株式51%を取得。子会社化 |
| 2005年 | 株式100%を取得。メルセデスAMG社として完全に内側へ入る |
| 2010年 | SLS AMGを発売。AMGが単独で1台を作り上げた最初のモデル |
スパから28年たって、ようやく資本の上でもメルセデスの一部になりました。
「大きなエンジンを4ドアに積む」という300 SEL 6.8の発想は、いまのC63系AMGにも形を変えて受け継がれています。C63 AMGは2008年の初代(W204)で自然吸気6.2LのV8を積み、その後ターボ化していきますが、「速い4ドア」という軸そのものはこの1971年の1台まで遡ります。
本物は、もう存在しない
この車を調べていくと、他の名車と違う点にぶつかります。
1971年にスパを走った実車が、いま存在しません。
レースの後、AMGはこの車を1972年末にフランスの航空機メーカー、マトラ社へ売却しました。
買い手が使った用途は、レースでも展示でもありません。マトラは、飛行機の車輪まわりや滑走路の摩擦係数を調べる移動実験車として使うことにしたのです。床には穴が開けられ、走行中にその穴から航空機用のタイヤと脚まわりを路面に下ろして、摩擦のデータを取っていたとされます。
当時、こうした試験車の使い方自体はめずらしいものではありませんでした。航空機メーカーが、性能を持て余した車をあえて実験機材に転用するというのは、レーシングカーの余生としてはよくある話です。ただ、それが世界に名前を知らしめたばかりのAMG第1号車だったという点で、この1台の話は特別な意味を持ちます。
その後の行方ははっきりしません。1990年代初頭に消息を絶ち、解体されたとみられています。
2005年、メルセデスはダイムラーがAMGの株式を100%取得したことを祝うにあたり、この記念すべき1台を探しました。フランス北部を中心に行方を追いましたが、見つかりませんでした。結局、当時の資料をもとに忠実なレプリカを新たに作るという判断がされます。
なお、実際にレース仕様へ改造された300 SEL 6.3は1台だけではなく、レース用3台・テスト用2台の計5台という記録も海外の資料に見られます。ただし国内外の一次資料で細部まで裏取りできる情報ではなく、断定は避けます。いずれにせよ、スパを走った実車そのものは現存しません。
いま各地のイベントで見かける赤いSクラスは、あとから作られたレプリカです。
メルセデス自身が当時の図面をもとに作り直した個体もあれば、民間で仕立てられた個体もあります。オークションに出るのもこちらです。
- 本物は現存しない。1990年代初頭に消息を絶ち、解体されたとみられる
- 2005年の捜索も失敗。メルセデス自身が探して見つからず、レプリカを新造した
- 流通しているのはレプリカ。ベースに使った車体や作り込みで価格が変わる
60年に満たない歳月のあいだに、レーシングカーとして生まれ、航空機の実験機材として第二の人生を送り、最後には記録からも姿を消す。300 SEL 6.8がたどった道のりは、名車と呼ばれる車にしてはめずらしいものです。GT7に収録されているのは、この失われた物語をいまも走らせられる形にした、数少ない手段のひとつだと言えます。
"赤い豚"は買えないが、ベース車は今でも手に入る
この車自体には、他の車種のような中古相場が存在しません。
ただし、話を2つに分けると実態が見えてきます。ひとつは後年に作られたレプリカ、もうひとつはベースになった量産車、300 SEL 6.3です。この2つは、まったく別の市場として扱う必要があります。
①レプリカの取引
「Rote Sau」を名乗るレプリカは、これまでにボンハムズなど大手オークションハウスにも複数回登場しています。作り込みの精度や来歴によって評価が変わるため、価格帯を一括りに示すのは難しいのが実情です。手の込んだ個体ほど、単なる旧車以上の値がつく傾向にあります。
評価を左右するのは、AMGが手を入れた当時の仕様(アルミドア・広げたトレッド・拡大されたエンジン)をどこまで忠実に再現しているかという作り込みの精度と、レースイベントでの走行歴・展示歴といった来歴の2点です。見た目だけを似せた個体と、機械としての中身まで再現した個体とでは、評価に大きな開きが出ます。
②ベース車300 SEL 6.3の相場
一方、量産されたベース車の300 SEL 6.3は、クラシックカー市場で継続的に取引されています。海外の取引データベースでは、過去の落札実績は数千ドルから約15万ドルまで幅広く分布し、平均は約5万ドル前後という数字が見られます。状態・年式・来歴によって差が大きい旧車です。
- 本物のAMG仕様は現存しない。金額の基準になる取引そのものがない
- レプリカ:作り込みしだいで金額は大きく振れる。ベース車の確保から始まる
- ベースの300 SEL 6.3:量産モデルなので海外市場では継続的に流通。ただし50年以上前のV8で、維持には専門店が要る
- 置き場所:全長5m級のサルーン。駐車環境から考える必要がある
※価格は個体の状態・仕様・時期・為替によって大きく変わります。最新の実勢は各オークションハウスや専門店の掲載情報でご確認ください。
グランツーリスモ7の300 SEL 6.8 AMG
GT7には「メルセデス・ベンツ 300 SEL 6.8 AMG '71」として収録されています。
入手先はレジェンドカーディーラーで、価格はCr.700,000です。
レジェンドカーディーラーの品ぞろえは入れ替わります。
並んでいるときに買っておくのが確実です。
| GT7での車名 | メルセデス・ベンツ 300 SEL 6.8 AMG '71 |
|---|---|
| 入手先 | レジェンドカーディーラー |
| 価格 | Cr.700,000 |
| カテゴリ | Gr.X(レーシングカー扱い) |
| PP | 517.12 |
| 最高出力 | 422BHP/5,300rpm |
| 最大トルク | 61.2kgfm/5,000rpm |
| 排気量 | 6,835cc |
| 吸気 | 自然吸気 |
| 駆動方式 | FR |
| 車両重量 | 1,635kg |
GT7の「Gr.X」は、実際のレース規定にとらわれず、開発陣がそのクルマにふさわしいと判断した性能へ調整した、いわばゲーム独自のレーシングカー区分です。市販車がベースであっても、そのままではエントリーできないような性能に仕立てられている車が多く含まれます。300 SEL 6.8がここに分類されているのも、市販車の姿を保ちながら中身をレース仕様へ作り替えたという、実車のなりたちそのものを反映した扱いと見ることができます。
GT7での300 SELの性格
- 重い。1,635kgは同じPP帯のレースカーとして飛び抜けて重い
- 自然吸気のV8。低い回転から力が出るので、踏んだ量がそのまま前に出る
- FRで車体が長い。向きが変わり始めるまでに間があり、いったん動き出すと止まりにくい
- Gr.X扱い。参加できるレースが限られるので、走らせる場所はタイムトライアルやカスタムレースが中心になる
- 車高が高い。もとが市販の高級サルーンなので、専用シャシーのレースカーに比べると重心も高めになる
走らせ方のコツ
コツ1|ブレーキを早めに始める
重い車は止まるのに距離が要ります。軽い車と同じ地点で踏み始めると、曲がる場所に届く前に速度が残ります。手前から長く踏むほうが結果が安定します。
コツ2|曲がりながらブレーキを残さない
前が重い車なので、ブレーキを残したまま曲げようとすると後ろが軽くなります。直線のうちに落としきってから向きを変えるほうが扱いやすくなります。
コツ3|出口を早く迎えにいく
自然吸気のV8は低い回転から力が出ます。立ち上がりで早めに踏み始められると、長い直線で差がつきます。ハンドルを戻しながら踏み足していく形が向いています。
コツ4|縁石を使いすぎない
車高と重さのぶん、跳ねたあとの姿勢が戻るまでに間があります。攻めた縁石の使い方より、路面の中で完結させたほうが速く走れます。
同じGr.X扱いの収録車と乗り比べると、300 SELの個性がよりはっきりします。多くのGr.X車は軽量な専用シャシーを持つプロトタイプ寄りの車ですが、300 SELは市販の高級サルーンがそのまま母体です。車重も車高も明らかに一段重く高いぶん、コーナーでの姿勢変化は大きく出ます。裏を返せば、荷重の動きが把握しやすい車でもあり、ブレーキングとステアリングの基本を体に染み込ませる練習台として向いています。
駆動方式ごとの特徴は、まとめ記事でも解説しています。
🎮 まとめGT7のFR車まとめ曲がる・流せる操作性で選ぶ定番駆動方式。重い車ほど、踏み方の差が出る
300 SELのように重さを抱えて走る車は、ブレーキを踏む量と抜く速さがそのままタイムに出ます。
指先ではなく足で踏む量を決められるかどうかが、この手の車では効いてきます。
Logicool G29はペダルの踏み込み量を細かく調整できます。
「あと少しだけ緩める」という操作ができるようになると、重い車の向きの変え方が安定します。
実車を追いかける vs ゲームで乗る
① 実車(ベースの300 SEL 6.3)を維持する場合の年間目安
300 SEL 6.8 AMGそのものは買えません。もし50年以上前のドイツ製大排気量サルーンを維持するとしたら、という前提で、ベースの300 SEL 6.3クラスの旧車として目安を出すとこうなります。
| 項目 | 年間の目安 |
|---|---|
| 自動車税(6.3L級・13年超の重課) | 約8〜11万円 |
| 任意保険(希少車・高額車両保険込み) | 約15〜30万円 |
| 車検(2年分を1年換算・専門ショップ前提) | 約15〜30万円 |
| 整備・部品(M100型V8の専門整備・希少パーツ) | 約30〜80万円 |
| 駐車場・保管(全長5m級・屋内保管想定) | 約15〜40万円 |
| 燃料・消耗品 | 約15〜25万円 |
| 年間合計(目安) | 約98〜216万円 |
これにベース車自体の購入費(前章の中古相場)が加わります。レプリカとなれば、車体の作り込み費用がさらに上乗せされます。
② GT7で味わう場合の機材コスト
| 機材 | 価格の目安 |
|---|---|
| PS5本体 | 約6.6〜8万円 |
| グランツーリスモ7(ソフト) | 約6,000〜9,000円 |
| 車両購入(Cr.700,000) | プレイ内で稼げば実質0円 |
| ハンドルコントローラー(エントリー) | 約2.5〜4万円 |
| レーシングコックピット(任意) | 約2〜5万円 |
| 一式(目安) | 初期 約9〜17万円+以降ほぼ0 |
一度そろえれば、あとは電気代くらいです。壊す心配も、車検も、保管場所の悩みもありません。
③ 結論
この車に関しては、選択の余地がほとんどありません。
実車が存在しない以上、乗れる場所はゲームの中だけです。維持費を比較して優劣を決めるまでもなく、答えは最初から決まっています。
- 実車(ベースの300 SEL 6.3):購入費 数十万〜約15万ドル + 毎年98〜216万円
- ゲーム:初期9〜17万円 + 以降ほぼ0(車両はCr.700,000でゲーム内入手)
ゲーム機材一式は、ベース車の年間維持費とほぼ同じか、それより安い水準でそろいます。しかもAMG仕様そのものは実車では手に入らないため、この車に関してはコスパの比較以前に選択肢がGT7しかありません。
1971年にスパを走ったその1台に、Cr.700,000で乗れる。
失われた車が遊べる形で残っているという意味では、GT7の収録車のなかでも特別な1台です。
「GT7をきっかけに、ドイツ製の大排気量セダンに興味が出た」。そんな方こそ、いま乗っている愛車の"本当の価値"を知っておきませんか。中古車相場が動いている今は、手放す側にとっても追い風です。
※査定額・中古相場は車種・年式・走行距離・時期によって変動します。実際の金額は査定でご確認ください。
本物には会えなくても、物語には触れられる
イギリスで毎年開かれるグッドウッド・フェスティバル・オブ・スピードには、この「Rote Sau」のレプリカが登場した実績があります。単なる静態展示だけでなく、屋敷の敷地内に設けられた名物のヒルクライムコースを、エンジン音とともに実際に走る姿を見られる場が用意されているイベントです。世界中のクラシックカーやレーシングカーが一堂に会する規模の大きなイベントなので、開催時期に渡英の予定があれば出展車リストを確認してみる価値があります。
ドイツでは、シュトゥットガルトで開かれるクラシックカーの祭典「レトロ・クラシックス・シュトゥットガルト」にもレプリカが出展された記録があります。ヨーロッパ最大級の旧車イベントのひとつで、メルセデスやAMGゆかりの車が集まりやすい土地柄でもあります。こうした場でこの車の姿を間近に見られる機会があります。
また、AMGの本拠地であるドイツ・アファルターバッハでは、工場見学のツアーが用意されています。ビジターセンターにはショールームがあり、工場の入り口部分は歴史を紹介する展示のような作りになっているといいます。プレミアムなツアーでは、朝食を挟みながらブランドの成り立ちについて説明を受けたのち、エンジン工場の内部を見学し、現行のAMGモデルでシュヴァーベン地方の田園地帯を走るという体験まで用意されています。300 SEL 6.8 AMGはこの会社の出発点そのものなので、AMGというブランドの成り立ちを知る場としては欠かせない場所です。
いずれの場も、1971年の実車そのものに会える場所ではありません。それでも、この車が背負った物語の輪郭には、いまも触れることができます。
※イベントの開催内容・出展車両は年により変わります。訪問・観覧前に各公式サイトでご確認ください。
手元に置いて楽しむ|300 SEL 6.8 AMGのモデルカー
実車には会えなくても、赤い豚のあの姿は手元に置いて楽しめます。張り出したフェンダーと太いタイヤ、ゼッケン35をつけたワークスカラーの車体は、模型として眺めてもひときわ存在感があります。市販の高級サルーンとレーシングカーという、本来なら交わらないはずの2つの顔を1台で持っているところが、この車のミニカーとしての面白さでもあります。
スケールモデルなら、市販車には無いゼッケンやワークスカラーまで再現されているものもあります。棚に並べて、実車の物語を思い出すきっかけにしてみてください。
AMGとメルセデスの歴史をもっと知る本
1台の町工場から世界的なブランドになるまでの道のりは、書籍で追うとまた違った面白さがあります。AMGやメルセデスのモータースポーツ史を扱った本を探してみてください。創業者2人がどんな思いで古い製粉所からスタートしたのか、活字で追うとレースの結果だけでは見えてこない背景が見えてきます。
300 SEL 6.8 AMGのよくある質問
Q. なぜ「赤い豚」と呼ばれているのですか?
A. ドイツ語の愛称「Rote Sau(ローテ・ザウ)」を日本語にしたものです。大柄な4ドアサルーンの車体に、太いタイヤに合わせて張り出したフェンダーがつき、そこへ赤い塗装がのりました。レースカーらしからぬ姿から、こう呼ばれるようになりました。
Q. 出力が資料によって420PSだったり428PSだったりするのはなぜですか?
A. 単位の違いが主な理由です。ヨーロッパで使われるPS(メートル馬力)で428、英語圏で使われるhpに換算すると約422になります。この2つはほぼ同じ出力を別の単位で書いたものです。さらに媒体によって切りのよい数字へ丸めた420という表記も見られます。GT7の表記は422BHPで、この換算値にあたります。
Q. ベースになった300 SEL 6.3はどんな車ですか?
A. 1967年から1972年に作られたSクラスの最上級モデルです。最上級リムジンの600と同じM100型6.3リッターV8を積み、250PSで最高速220km/hに達しました。当時「世界で最も速い4ドア」と呼ばれた1台で、生産台数は6,526台です。もともとはメルセデス社内のエンジニア、エーリッヒ・ヴァクセンベルガーが個人的に組み合わせた実験が始まりだったと伝えられています。
Q. 1971年にスパを走った実車はいま見られますか?
A. 見られません。レースの後にフランスの航空機メーカー、マトラ社へ売却され、飛行機の車輪まわりや滑走路の摩擦を調べる試験車として使われました。1990年代初頭に消息を絶ち、解体されたとみられています。2005年にメルセデスが記念のために探しましたが見つからず、当時の資料をもとにレプリカを新たに作りました。イベントで見かける赤い車体は、そうしたレプリカです。
Q. AMGはもともとメルセデスの一部門だったのですか?
A. 違います。1967年に元メルセデスの技術者だったハンス・ヴェルナー・アウフレヒトとエアハルト・メルヒャーが立ち上げた別会社です。社名はアウフレヒト(A)、メルヒャー(M)、アウフレヒトの出身地グロースアスパッハ(G)の頭文字を並べたものです。ダイムラー側が株式の過半数を取得したのは1999年、100%取得は2005年でした。
Q. 1971年のスパ24時間には、どんなライバル車がいたのですか?
A. 予選5番手からのスタートでした。前には、ポールポジションのシボレー・カマロZ28、2番手にBMW2800CS、3番手にフォード・カプリ2600、4番手にもBMW2800CSが並んでいました。この2番手のBMWのドライバーの1人は、のちにF1で3度の世界チャンピオンになるニキ・ラウダです。総合優勝は3番手にいたフォード・カプリの系列車で、300 SEL 6.8とは周回数でわずか3周の差でした。
Q. なぜAMGは、この排気量でのレース参戦を続けなかったのですか?
A. 1971年シーズンの終わりに、参戦していたヨーロッパ・ツーリングカー選手権が排気量5.0リットルを超える車の参戦を禁止する規定に変わったためです。6.8リットルの300 SELは、このルール変更によって同じ形でのワークス参戦を続けられなくなりました。ただし、この結果で得た知名度は、1970年代にAMGが顧客向けのチューニング事業を伸ばしていく原動力になったといいます。
Q. GT7では初心者でも扱えますか?
A. 扱いやすいとは言えません。1,635kgという重さのぶんブレーキの距離が長く、曲がり始めるまでにも間があります。ただし出力の出方に段差がないので、動きは読みやすい部類です。ブレーキを早めに始めて直線のうちに速度を落としきる、という順番を覚える練習台としては向いています。
Q. 300 SEL 6.8 AMGは何台作られたのですか?
A. 海外の資料には、レース用3台・テスト用2台の計5台という記録があります。ただし一次資料での裏取りは難しく、確定した数字とは言い切れません。実際にスパ24時間を走った1台は現存せず、いま見られるのはすべて後年のレプリカです。
Q. 1971年のスパ24時間は、どのくらいの規模のレースだったのですか?
A. 約60台がエントリーし、24時間走りきって完走扱いとなったのは19台、順位がついたのは18台でした。グループ2規定のもとで排気量ごとのクラスに分かれて争われ、300 SEL 6.8はもっとも排気量の大きいクラスで優勝しています。平均速度は時速182.69kmでした。
名前を作った1台
- AMGは社外の会社だった。1967年に元メルセデス技術者2人が古い製粉所で創業し、社名は頭文字を並べただけ
- ベースの300 SEL 6.3も、無許可の実験から生まれた。メルセデス社内のエンジニアが1台の中に組み込んだのが始まりで、6,526台が量産された
- 6.3を6.8へ広げた。250PSのサルーンを420〜428PSのレースカーに作り替え、内装はほぼそのまま残した
- 1971年スパ24時間でクラス優勝・総合2位。約60台がひしめく予選5番手から、シーズンを支配していたフォード・カプリとの差はわずか3周だった
- ルール変更で一度きりの挑戦になった。ヨーロッパ・ツーリングカー選手権の排気量規制がこの形での参戦を終わらせ、AMGは顧客向けチューニング事業へ舵を切った
- 実車は現存しない。航空機の試験車として使われたのち失われ、2005年の捜索も実らず、いまあるのはレプリカ
- GT7ではレジェンドカーディーラーでCr.700,000。Gr.X扱いのFR車
この車が残したのは順位ではなく、名前でした。
AMGという3文字が世界に知られたのは、この24時間があったからです。
乗れる場所がゲームの中しかない1台、というのはそう多くありません。
レジェンドカーディーラーに並んでいるのを見かけたら、まず1周してみてください。重い車を速く走らせる感覚は、他の車では手に入りません。
1台の町工場が、24時間耐久レースの中でメルセデスの看板を背負って走った1971年の夏。その結果を知る人は、いまでは決して多くありません。それでも、あの日スパの公道コースを走った赤い4ドアの姿は、後のAMGが作り続けることになる速いメルセデスすべての出発点として、確かに記録に残っています。









