
メルセデス・ベンツ 190E 2.5-16 エボリューションIIとは、1990年に502台だけ作られた、DTM(ドイツツーリングカー選手権)で戦うためのホモロゲーションモデルです。巨大なリアウイングと張り出したオーバーフェンダーは飾りではなく、レースで使う空力パーツを市販車にも装備しなければならなかったから付けられました。上品なセダンで知られたメルセデスが、なぜこんな姿の車を売ったのか。答えは、当時のレース規則と、宿敵BMWとの戦いの中にあります。
この記事では、Evo IIが生まれた理由・開発の経緯・スペックから、宿敵BMW M3との関係、若き日のミハエル・シューマッハとのつながり、そして現在の中古相場・GT7での乗り方まで、まるごと解説します。当時のメルセデスがなぜ独立系のチューナーやエンジン専門会社に頼ったのか、そしてその判断が後の「メルセデスAMG」というブランドにどうつながっていったのかも、あわせて追いかけていきます。
Evo IIの物語|ラリー計画から始まった開発
なぜ「190」だったのか|メルセデス初のコンパクトセダン
そもそも「190」という車自体、メルセデスにとって特別な存在でした。1982年12月、パリモーターショーで発表されたW201型190は、メルセデス・ベンツ初のコンパクト高級セダンです。オイルショック後の時代に合わせ、それまでのフラッグシップが持つ品質・耐久性・安全性はそのままに、ひとまわり小さな車体へ凝縮するという狙いで開発されました。「ベビーベンツ」と呼ばれたこのモデルは、開発費に約6億ポンドを投じた社運を賭けたプロジェクトで、1988年までに累計100万台を売り上げるヒット作になっています。Evo IIは、この量産セダンの中に競技専用の技術を詰め込んだ、いわば異色の1台でした。
出典・参考:Wikipedia「Mercedes-Benz W201」/eMercedesBenz「A Look Back in History at the Baby-Benz」(1982年12月発表・メルセデス初のコンパクトセダン・開発費・1988年時点の累計生産100万台)。
Evo IIの物語は、DTMではなくラリーから始まります。1980年代前半、メルセデス・ベンツは新型コンパクトセダン「190」の軽さと低い空気抵抗、そして凝った構造のマルチリンク式リアサスペンションに目を付け、当時ラリーで無敵を誇っていたフォード・エスコートやタルボ・サンビーム・ロータスに対抗できる1台にできないかと考えました。そのために白羽の矢が立ったのが、F1にエンジンを供給し続けてきたイギリスの名門コスワースです。既存の直列4気筒エンジン「M102」をベースに、新設計のDOHC16バルブヘッドを組み合わせるという仕事が依頼されました。
ところが、このラリー計画は実現しませんでした。同じ時期にアウディが四輪駆動の「クワトロ」でラリー界を塗り替えてしまい、1982年から1984年まで世界ラリー選手権を3年連続で制覇していたためです。後輪駆動のセダンでは太刀打ちできる状況ではなく、メルセデスのラリー参戦の夢は早々に潰えました。
ラリー計画は消えても、コスワース製ヘッドを積んだ高回転型エンジンは残りました。この技術は市販モデルとして日の目を見ることになり、1983年のフランクフルトモーターショーで「190E 2.3-16 コスワース」として発表、1984年から販売されます。ここから2.3-16 → 2.5-16 → エボリューション(Evo I) → エボリューションII(Evo II)という進化の系譜が始まりました。
出典・参考:Carscoops「Classic Flashback: Mercedes-Benz 190E 2.3 and 2.5 16v Cosworth」/Top Gear「Eight things you never knew about the Mercedes 190E Cosworth」(ラリー計画・コスワースへの委託・アウディ クワトロによる計画中止・1983年発表)。
DTMのためのホモロゲーション|502台という数字の意味
190E 2.3-16の登場後、メルセデスの目標はラリーからツーリングカーレース、すなわちDTM(ドイツツーリングカー選手権)へと移ります。当時のDTMが採用していたグループA規則では、レースで使う空力パーツやエンジン仕様は、市販車にも同じものが装備されている必要がありました。しかも一定台数を実際に販売することが条件です。この仕組みをホモロゲーションと呼びます。
1989年に登場した「Evo I」を経て、1990年に満を持して送り出されたのがEvo IIです。生産台数は502台。うち500台は「ブラウシュヴァルツ」と呼ばれる濃紺がかったメタリックカラーで塗装され、この色以外の個体はごくわずかとされています。発売当時の価格は115,259.70マルク(エアコン装着車は119,717.10マルク)。最後の1台は1990年5月、ブレーメン工場で生産を終えました。
出典・参考:autoevolution「Mercedes-Benz 190E 2.5–16 Evo II: The Story of the Cosworth-Powered, AMG-Tuned Legend」/MercedesBlog「25 years of the Mercedes-Benz 190 E 2.5-16 Evolution II」(502台・ブラウシュヴァルツの車体色・発売当時価格・生産終了時期)。
スペック|数字で見るEvo II
| 項目 | メルセデス・ベンツ 190E 2.5-16 エボリューションII |
|---|---|
| 発表 | 1990年3月・ジュネーブモーターショー |
| 生産台数 | 502台(うち500台は「ブラウシュヴァルツ」メタリック) |
| 発売当時価格 | 115,259.70マルク(エアコン付き119,717.10マルク) |
| エンジン | 2,463cc 直列4気筒DOHC16バルブ(コスワース設計ヘッド) |
| 最高出力 | 235PS(232hp)/7,200rpm |
| 最大トルク | 245Nm(25.0kgm)/5,000〜6,000rpm |
| トランスミッション | ゲトラグ製5速MT(1速が左手前の「ドッグレッグ」配置) |
| サスペンション | 車高調整式の油圧サスペンション(前後) |
| ホイール | 17インチ(当時としては大径) |
| 駆動方式 | FR(後輪駆動) |
| 目的 | DTM(グループA)出場のためのホモロゲーションモデル |
※スペックは当時の資料に基づきます。個体や仕様により異なります。
注目したいのは7,200回転で235PSという出し方です。2.5Lで235PSという数字自体は突出していませんが、その回転数まで回して出しているところにこの車の性格が出ています。先代のEvo Iは195PSでしたから、Evo IIはわずか1年で40PSも引き上げたことになります。さらに、車高を油圧で上下できる調整式サスペンションを備えていたのも当時としては珍しい装備でした。レースでは車高を下げて空力を効かせ、公道では段差を越えられるように上げる。市販車でありながら、こうした競技用の発想がそのまま盛り込まれています。
電子制御という新しさ|ボッシュ・モトロニクスの採用
Evo IIの心臓部は、コスワース設計のヘッドだけが特別だったわけではありません。燃料噴射と点火のタイミングを一括で制御するボッシュ・モトロニクスのエンジンコンピューターを採用していたことも、当時としては先進的でした。キャブレターや単純な機械式インジェクションが珍しくなかった時代に、電子制御で高回転域まで安定して燃焼を管理する仕組みを、市販の4気筒セダンに積んでいたことになります。高回転志向のヘッドと電子制御の両輪がそろって、はじめて7,200回転までの信頼性が成り立っていたと言えるでしょう。
ここでもう一度、コスワースという会社について触れておきます。1958年にイギリスで設立されたこの会社は、F1で長年にわたりエンジンを供給し続けてきたことで知られ、なかでも1967年に登場した「DFV」型V8エンジンは、複数のコンストラクターズチームへ供給されながら1967年から1983年の間に155のグランプリで勝利し、数多くのF1タイトルを支えた名機として語り継がれています。市販車のためのエンジン開発だけでなく、こうした純粋なレーシングエンジンの設計でも実績を積んできた会社だったからこそ、メルセデスは190Eの高回転ヘッドという難しい仕事を任せることができたのでしょう。
出典・参考:Wikipedia「Cosworth」/Wikipedia「Cosworth DFV」(1958年設立・DFVエンジンの1967〜1983年のF1戦績)。
空力に賭けた開発|風洞が生んだ巨大ウイング
Evo IIの外観でもっとも目を引くのは、トランクの上に立ち上がる大型のリアウイングと、前後に張り出したオーバーフェンダーです。これらは公道での見栄えのためではなく、グループA規則が「レースで使う空力装備は市販車と同じものでなければならない」と定めていたために装着されました。DTM仕様のレースカーが必要とする巨大なダウンフォースを得るには、まず市販車にその翼を付けて売らなければならなかったのです。
この空力パッケージは風洞実験を重ねて開発されたと伝えられており、リアウイングは角度を調整できる可変式でした。あまりに攻撃的なエアロパーツだったため、当時ライバルだったBMWの開発責任者が「空気力学の法則は、ミュンヘンとシュトゥットガルトで違うのか」と皮肉を漏らしたという話も伝えられています。真偽はさておき、それほどEvo IIの空力パッケージが際立って見えたということでしょう。
出典・参考:Carscoops「Relive The Best Of The '90s With An AMG-Mercedes 190 E 2.5-16 Evolution II DTM」(グループA規則と空力装備の関係・風洞開発・BMW開発責任者の発言とされる逸話)。
⚔️ 宿敵BMW M3(E30)との戦い
Evo IIを理解するには、BMW M3(E30)の存在が欠かせません。同じDTMを戦い、同じグループA規則の下で作られ、同じように限定販売された車です。BMWは早くからツーリングカーレースで結果を出しており、そこへメルセデスが本気で乗り込んでいく。相手が強かったからこそ、Evo IIはあの過激な姿になったと言えます。
⚔️ 宿敵BMW M3スポーツエボリューション(E30)とは600台限定の最終進化形。同じDTMを戦った相手の物語。Evo IIがデビューしたのは1990年6月16日、ニュルブルクリンク北コースでのDTMレースでした。この年はドライバークルト・ティームが3位、翌1991年にはクラウス・ルートヴィヒが2位に入り、そして1992年、ついにルートヴィヒがクルト・ティーム、ベルント・シュナイダーを抑えてドライバーズチャンピオンを獲得しました。デビューから3年をかけて、Evo IIは頂点にたどり着いたことになります。
AMGという存在|レース仕様を仕上げたチューナー
Evo IIのレース仕様を実際に仕上げていたのは、メルセデス本体ではなくAMGでした。当時のAMGはまだメルセデス・ベンツの傘下ではなく、独立したチューニング会社です。市販車の車体をメルセデスとコスワースが作り、それをレースカーへ仕立てる仕事をAMGが担うという体制が1988年から組まれ、DTMのAMG-Mercedesチームとして戦績を積み重ねていきました。「レースの経験はAMGが、エンジンはコスワースが、車体はメルセデスが」という役割分担があったからこそ、Evo IIは短期間で戦闘力を持つマシンに仕上がったとされています。このときの関係が土台となり、AMGはのちの1999年にメルセデス・ベンツの正式な性能部門となります。今の「メルセデスAMG」というブランドの原点の一つが、Evo IIの時代にあったことになります。
出典・参考:Motor Sport Magazine「Race car buying guide: Mercedes 190 Evo II DTM」(AMG・コスワース・メルセデスの役割分担、1988年からのDTM体制)。
出典・参考:MercedesBlog「25 years of the Mercedes-Benz 190 E 2.5-16 Evolution II」/Mercedes-Benz Museum Stuttgart(Classic Fanseite)「Mercedes-Benz "EVO II"」(デビュー戦の日付・1990〜1992年のDTM成績)。
DTMでの戦績を語るうえで、もうひとつ忘れられないのがエレン・ローアの存在です。1992年、彼女はEvo IIのステアリングを握り、ホッケンハイムでのレースで優勝。これは今もDTM史上唯一の女性ドライバーによる優勝として記録されています。
出典・参考:News d'Anciennes「Les Mercedes en DTM, les Mercedes-Benz 190 E 2.5 16 EvoII, les championnes」(エレン・ローアのホッケンハイム優勝・DTM史上唯一の女性ドライバー優勝という記録)。
1993年、グループA最後の年
Evo IIが戦ったグループA規則は、1993年を最後に姿を消します。この年からDTMは「クラス1」という新しい規則へ移行し、市販車の空力パーツをそのままレースに使うという縛りがなくなりました。より過激な専用ボディを作れるようになったぶん、市販車をベースにした古い190Eは戦闘力で見劣りするようになり、実際に1993年シーズンはアルファロメオの155 GTAに苦戦を強いられています。メルセデスは1994年、新型Cクラスをレースカーのベースに切り替えました。振り返ってみると、Evo IIはグループA規則下でチャンピオンを獲得した最後の車だったことになります。市販車の姿を色濃く残したレースカーが頂点に立てた、最後の時代の主役だったとも言えるでしょう。バトンを受け継いだ新型Cクラスは、その後のDTMで数々のタイトルを積み重ねる主力車種へと成長していきます。派手な専用ボディを許されたクラス1規則の時代が始まったことで、市販車とレースカーの距離は少しずつ離れていきました。だからこそ、Evo IIのような「見た目も中身も市販車のまま戦った最後の世代」には、今の目で見ても特別な説得力があります。
出典・参考:Wikipedia「1993 Deutsche Tourenwagen Meisterschaft」/Supercars.net「1993 Mercedes-Benz 190 E Class 1」(1993年のクラス1規則移行・アルファロメオ155 GTAとの戦い・1994年のCクラスへの切り替え)。
🏎️ 若き日のミハエル・シューマッハも乗っていた
後に7度のF1世界チャンピオンとなるミハエル・シューマッハは、F1デビューを果たす前の1990年、AMGモトーレンバウ・チームの一員としてゼッケン65のEvo IIでDTMに参戦しています。ホッケンハイムでの一戦では事故でリタイアするなど、順風満帆なデビューとは言えませんでした。翌1991年には、ザクスペード・レーシングのゼッケン20のEvo IIでDTMに数戦出場。同じ1991年、シューマッハはF1チーム・ジョーダンからF1デビューを果たしており、DTMでEvo IIを走らせながらF1デビューを迎えたシーズンだったことになります。
出典・参考:1990年AMGモトーレンバウ・ゼッケン65、1991年ザクスペード(Debisスポンサー)・ゼッケン20でのシューマッハ搭乗車を再現した各社ミニカー商品情報(Werk83・Solido・Studio27ほか)およびモータースポーツ系メディアの記述に基づく。※シューマッハのDTM参戦記録は複数のミニカーメーカー・資料で一致していますが、レース単位の詳細な戦績は資料により記載の粒度が異なります。
見分け方|Evo IIをひと目で見分ける
190Eには数多くの仕様があり、外から見て区別しにくいものもあります。ただしEvo IIだけは、誰でもひと目で分かります。
| 見どころ | Evo IIの特徴 |
|---|---|
| リアウイング | トランクの上に大きく立ち上がる可変式。角度調整が可能で他の190Eには存在しない |
| フェンダー | 前後とも張り出したオーバーフェンダー |
| フロント | 大型のロアスポイラー |
| 足元 | ワイド化に合わせた17インチの専用ホイール |
| 車体色 | 502台中500台が「ブラウシュヴァルツ」の濃紺系メタリック |
上品なセダンの車体に、これらが後から足されています。不釣り合いに見えるほど大きいのは、公道での見栄えではなくレースでの効果を優先したためです。
190E Evo IIは今いくら?高額帯で取引される希少車
Evo IIの相場について、まず正直にお伝えします。一般的な中古車サイトで在庫を探しても、まず見つかりません。売買はクラシックカー専門店やオークションが中心で、取引のたびに話題になる類の車です。近年の海外オークションでは、1990年式が約22万ドル〜71万5,000ドルの幅で取引された記録があり、専門データベースが示す平均評価額は約21万5,000ポンド前後、過去の最高額取引は約44万6,000ポンドに達したとされています。
2025年10月、米国ニューポートで開催されたボナムズ|カーズのオークションでは、走行距離わずか180kmという新車同然の個体が71万5,000ドルで落札されました。この個体は「ブラウシュヴァルツ」の指定塗装をまとい、購入後ほぼ動かされることなく保管されてきた1台だったといいます。一方で2024〜2025年には20万〜33万ドル台の落札例や、希望額に届かず不成立に終わった出品もあり、同じEvo IIでも走行距離・保管状態・来歴によって評価が大きく分かれることが分かります。
出典・参考:CLASSIC.COM「Mercedes-Benz 190E 2.5-16 Evolution II - W201 Market」/The Classic Valuer「Price Guide: Mercedes-Benz (W201) 190 E Evolution II」/Carscoops「A Four-Cylinder Mercedes Worth Over $400,000 Makes The C63 Look Even Worse」/Bonhams Cars「1990 Mercedes-Benz 190E EVO II」オークション記録(近年のオークション取引価格帯・平均評価額・最高取引額・180km個体の落札実績)。
そもそも502台という生産台数のうち、35年以上を経て今も良好な状態で現存する個体はごくわずかです。事故やレース使用による損傷、部品の劣化で失われた個体も少なくないため、市場に出ること自体が稀な「出物待ち」の存在になっています。DTMのDNAを宿す希少なホモロゲーションモデルという評価は年々強まっており、投機的な急騰というより、長期的な再評価が積み重なって現在の価格帯にたどり着いたという見方ができます。
評価を左右する要素はいくつかあります。まず走行距離。前述の180kmという個体のように、購入後ほとんど走らせていない個体は別格の評価を受けます。次に塗装色。502台のうち500台は「ブラウシュヴァルツ」ですが、それ以外の希少カラーが混じる場合はさらに話題性が増します。そして来歴。著名なオーナーの手を経ていたか、当時の点検記録や納車時の付属品がそろっているかどうかも、専門店やオークションハウスが重視するポイントです。同じ年式のEvo IIでも、こうした要素の組み合わせ次第で評価額は大きく変わります。
※相場は時期・個体の状態・来歴・為替で大きく変動します。掲載の金額は過去の取引実績にもとづく目安であり、将来の価値を保証するものではありません。実際の取引価格は専門店やオークションでご確認ください。
グランツーリスモ7のEvo II|回転を落とさず走らせる1台
グランツーリスモ7にはメルセデス・ベンツ 190E 2.5-16 エボリューションIIが収録されています。実車では手の届かない1台も、GT7の中では走らせることができます。ゲーム内のクレジット価格・PP値・入手条件はアップデートで変動するため、本記事では具体的な数値の断定は避け、乗り味の話を中心にお伝えします。
GT7でのEvo IIの性格
後輪駆動で、パワーは飛び抜けていません。そのぶん車の動きが分かりやすく、失敗しても立て直せる1台です。大きなウイングとフェンダーは見た目のためではないので、速度が乗るほど安定してきます。ドッグレッグ配置の実車のシフトフィールをそのままゲームで再現することはできませんが、7,200回転まで引っぱって出力を出すエンジン特性は、GT7の中でもしっかり感じ取れます。
車重も軽い部類に入るため、ブレーキを掛けたときの姿勢変化が素直で、狙った通りに向きを作りやすいのも特徴です。現代のハイパワー車のような瞬発力はありませんが、その代わりコーナーの立ち上がりでアクセルを開けたぶんだけ加速していく手応えがあり、アクセルワークの丁寧さがそのままタイムに直結するタイプの1台です。1990年前後の同クラスの車と組み合わせたレースイベントでは、パワーではなくコーナリングの精度で勝負できる場面が多くなります。
走らせ方のコツ
- 回転を落とさない。7,200回転で最高出力を出すエンジンなので、早めにシフトアップすると持ち味が消えます
- ブレーキは早めに終わらせる。重量物を積んでいない素直な後輪駆動なので、向きを変えてから踏むときれいに立ち上がります
- 高速コーナーで本領を発揮する。ウイングが効いてくる領域では、見た目より安定します
- タイヤ選びを軽視しない。パワーが控えめなぶん、グリップの差がそのままタイムに出ます
同じ時代のライバルや、後輪駆動の扱い方は別の記事にまとめています。
宿敵と乗り比べる楽しさ
GT7には、実車と同じくBMW M3(E30)も収録されています。同じ1990年前後のツーリングカーレースを戦った2台を、実際に自分のステアリングで乗り比べられるのはGT7ならではの楽しみ方です。DTMという同じ舞台で戦いながら、メルセデスは高回転4気筒、BMWは自然な吹け上がりの直列4気筒という、それぞれ異なる哲学でパワーを引き出していました。ゲーム内で背中合わせに走らせてみると、当時のエンジニアたちが何を優先したのか、体感として伝わってくるものがあります。
🎮 まとめGT7のFR車まとめ駆けぬける楽しさの原点。GT7収録のFR名車を一覧で。回転を保つ操作はハンコンで効く
Evo IIは回転を落とさずに走らせることが持ち味の車です。シフト操作の回数が多くなるため、6速シフターを足すと自分の手で回転を管理する感覚に近づきます。
<まず必須>これがあれば、すぐにGT7で走り出せる
GT7を遊ぶ土台です。
PS5本体・GT7ソフト・ディスクドライブがあれば走り出せます。
さらにハンコンを足せば、"自分でハンドルを握る"運転体験に。
<あるとより実車に近づく>足すほど没入感が一段ずつ上がる
ここから先は"より実車に近づく"ための投資。
コックピットで姿勢が決まり、シフトで操作感が増し、VRで視界ごと没入できます。
※機材価格・在庫は時期・モデルによって変わります。最新の金額は各販売店でご確認ください。
Logicool G29は路面の反発が手に返ってくるため、後輪がどこまで踏ん張っているかを感じ取れます。パワーで押し切る車ではないぶん、この情報量の差がそのままタイムに出ます。
🎮 あわせて読みたいGT7おすすめハンコン比較G29から本格ダイレクトドライブまで、予算別に選び方を解説。 🎮 初心者ガイドグランツーリスモ7 初心者ガイド必要な機材と予算別の始め方。まずはPS5とソフトだけで十分です。実車を手に入れる vs ゲームで乗る
① 実車のEvo IIを手に入れる
車両価格に加えて、35年前の希少なホモロゲーションモデルを維持する費用がかかります。専用部品は生産が終わっており、探すこと自体に時間と費用がかかります。可変式サスペンションのような競技由来の装備も、対応できる専門ショップが限られます。まず前提として、車両価格そのものが前章で見た通り数千万円から1億円規模になり、ここに挙げる年間費用はあくまで取得後の維持コストである点に注意してください。
| 項目 | 年間の目安 |
|---|---|
| 自動車税(2.5L・13年超の重課) | 約58,600円 |
| 任意保険(高額な希少車両保険込み) | 約20〜40万円 |
| 車検(2年分を1年換算・専門ショップ前提) | 約10〜18万円 |
| 整備・部品(専用部品は入手困難・可変サス整備込み) | 約30〜80万円 |
| 保管(防犯・屋内保管が前提) | 約15〜50万円 |
| 燃料(年3,000km・ハイオク) | 約7〜10万円 |
| 年間合計(目安) | 約88〜204万円 |
※地域・使用状況・個体の状態で大きく変わります。あくまで一例としてご覧ください。購入費用は前章の中古相場を参照してください。
② GT7で"実車感覚"を味わう機材コスト
| 機材 | 費用の目安 |
|---|---|
| PS5本体 | 約6〜8万円 |
| グランツーリスモ7(ソフト) | 約6,000〜9,000円 |
| ハンコン(Logicool G29等) | 約3〜6万円 |
| シフター(6速MT感覚を再現) | 約1〜2万円 |
| コックピット(固定・姿勢) | 約2〜5万円 |
| 維持費 | ほぼ0円 |
| 一式(目安) | 初期 約10〜25万円+以降ほぼ0 |
③ コスパ比較の結論
- 実車:車両価格 数千万円〜1億円規模+毎年88〜204万円。しかも出物を待つ必要がある
- ゲーム:初期 10〜25万円+以降ほぼ0
Evo IIのような車は、お金の問題以前に「売りに出るかどうか」という壁があります。GT7ならその壁がありません。ハンコンを足せば、7,200回転まで引っぱる感覚も、ウイングが効いてくる高速コーナーの安定感も、かなり近いところまで味わえます。
「いつか本物を」と思っている方も、それまでの間はGT7で乗り続けられます。まずはハンコンから始めるのが、いちばん費用を抑えて実車感覚に近づく方法です。
「GT7で惚れて、いつか本物のEvo IIに」。その前に、いま乗っている愛車の"本当の価値"を知っておきませんか。旧車相場が高騰している今は、手放す側にとっても追い風です。
※査定額・中古相場は車種・年式・走行距離・時期によって変動します。実際の金額は査定でご確認ください。
実車のEvo IIに触れる|博物館とヒストリックレース
「502台しか残っていない車なんて、本物を見る機会はないのでは」と思うかもしれません。ですが、Evo IIはメルセデス自身が大切に保存する車両であり、動態保存されている個体もヒストリックレースの舞台で走り続けています。ガラスケースの中で静止しているだけの展示物とは違い、エンジン音とともに走る姿を見られる可能性があるのも、この車の魅力のひとつです。
🏛 メルセデス・ベンツ・ミュージアム(シュトゥットガルト)
ドイツ・シュトゥットガルトのメルセデス・ベンツ・ミュージアムには、実際にプレステスト車として使われた後にコレクションへ移された個体(シャシー番号222/500)が収蔵されています。企画展「Youngtimer」の一台として展示されることがありますが、展示車両は入れ替わるため、訪問前に公式で最新の展示状況をご確認ください。
🏁 ヒストリックレースで出会う
メルセデス・ベンツ・クラシックは2013年、Evo IIをツーリングレーシングカーとしてヒストリックレース向けに再製作しました。この車両は、DTM史上唯一の女性優勝ドライバーであるエレン・ローアが自らステアリングを握り、ADACヴェストファーレン・トロフィーなどのヒストリックイベントで走行しています。当時のDTMを彩ったマシンが、今も現役でサーキットを駆ける姿を見られる機会があるのは、Evo IIならではの魅力です。
出典・参考:Mercedes-Benz Museum Stuttgart(Classic Fanseite)「Mercedes-Benz "EVO II"」(シャシー222/500の収蔵経緯・Youngtimer展示)/Motor1「Mercedes Revisits 190E Evo II In Stunning DTM Footage」(2013年のヒストリックレーシングカー再製作・エレン・ローアの搭乗)。※展示・出走状況は変動します。来館・観戦前に各公式でご確認ください。
🏔 グッドウッド・フェスティバル・オブ・スピード
イギリスで毎年開催されるグッドウッド・フェスティバル・オブ・スピードにも、Evo IIは何度か姿を見せています。2007年にはメルセデス・ベンツ・ミュージアムの車両とともにパドックへ展示され、2022年にはメルセデス・ベンツ・クラシックの協力のもと、1992年仕様のDTM車がヒルクライムコースを駆け抜ける様子が披露されました。市販車の姿を色濃く残しながらレーシングカーとして戦い抜いた最後の世代という位置づけが、こうしたイベントでもたびたび紹介の切り口になっています。開催の有無や出走車両は年によって変わるため、最新情報は公式サイトでご確認ください。
出典・参考:Bonhams Cars「1990 AMG-Mercedes 190E 2.5-16 Evolution II DTM Competition Saloon」(2007年グッドウッド展示歴)/Turbo and Stance「Mercedes 190 E 2.5-16V Evo II DTM - Amazing Sounds at Goodwood Festival of Speed」(2022年のヒルクライム出走)。※出走状況は年により変動します。
🔧 現代によみがえるEvo II|HWAのレストモッド
Evo IIへの再評価は、オークション市場だけの話ではありません。ドイツのHWAは2024年、オリジナルの190Eの車体を土台に、カーボン製の専用パネルをまとわせた現代版レストモッド「HWA EVO」を発表しました。3.0L・ツインターボV6(444〜493馬力)を積み、KW製の可変ダンパーを備えた本格的な作り込みで、100台限定・販売価格は約76万7,000ドルからとされています。もとの車体の約4分の1を残しながら大部分を新造するという徹底ぶりで、実際にニュルブルクリンク24時間レースへの参戦も予定されています。HWAという社名は、AMGの創業者の一人ハンス・ヴェルナー・アウフレヒトのイニシャルに由来しており、Evo IIの物語がAMGの成り立ちと今も地続きであることを感じさせるプロジェクトです。
出典・参考:Carscoops「HWA's Modern Mercedes 190E Evo Gets Twin-Turbo V6, Carbon Skin, And KW Dampers」/The Drive「This $800K Mercedes 190E Evo Restomod Will Actually Race at the Nurburgring 24H」(スペック・限定台数・価格・車体流用率・ニュルブルクリンク24時間参戦予定)。
手元に置いて楽しむ|190E Evo IIのモデルカー
あの可変式リアウイングと張り出したオーバーフェンダーは、模型でこそ細部までじっくり眺められます。ブラウシュヴァルツの塗装、DTMゼッケンを再現したレース仕様まで、選ぶ楽しみが広いのもEvo IIならではです。実車を所有する道が現実的でないぶん、精密なミニカーやプラモデルで手元に置いておくというのは、この車との付き合い方として決して遠回りではありません。
市販モデルの落ち着いた佇まいと、レース仕様の派手なリバリーを並べて眺めると、同じ車が持つ2つの顔がよく分かります。棚に並べて眺めるだけでも、あの巨大なウイングがどれほど過激な造形だったか、あらためて実感できるはずです。
DTM黄金期を書籍で振り返る
Evo IIとBMW M3が激突した1990年代初頭のDTMは、資料をひもとくほど奥が深い時代です。当時の車両解説や戦績をまとめた書籍で、宿敵との戦いをじっくり振り返るのもおすすめです。
「あのヒストリックイベントで見たよ」「この博物館に展示されてたよ」という情報があれば、ぜひお問い合わせフォームから教えてください。みなさんからの情報で、このページをもっと充実させていきます🚗💨
190E Evo IIのよくある質問
Q. メルセデス・ベンツ190E 2.5-16 エボリューションIIとは、どんな車ですか?
A. 1990年に502台だけ生産された、DTM(ドイツツーリングカー選手権)に出場するためのホモロゲーションモデルです。巨大なリアウイングと張り出したフェンダーは、レースで使う空力パーツを市販車にも装備する必要があったために付けられました。
Q. 何台作られましたか?
A. 502台です。うち500台は「ブラウシュヴァルツ」と呼ばれる濃紺系メタリックで塗装され、この色以外は数台にとどまるとされています。生産は1990年5月、ブレーメン工場で終了しました。
Q. エンジンはメルセデス・ベンツが独自に作ったのですか?
A. シリンダーヘッドはイギリスのコスワースが手がけています。もとは1980年代前半にメルセデスがラリー参戦を計画し、既存の4気筒エンジンにコスワース製の新設計DOHC16バルブヘッドを組み合わせたのが始まりで、ラリー計画自体は実現しませんでしたが、この技術が190Eの高性能モデルへとつながりました。
Q. BMW M3(E30)とはどんな関係ですか?
A. 同じDTMを戦ったライバルです。Evo IIは1990年のデビュー戦から戦績を重ね、1991年にクラウス・ルートヴィヒが2位、1992年に同選手がチャンピオンを獲得しています。どちらも規則を満たすために限られた台数だけ作られた市販車という共通点があります。
Q. 中古ではいくらぐらいで取引されていますか?
A. 近年のオークションでは1台あたり数千万円から1億円規模で取引される例が報告されています。一般的な中古車サイトにはほとんど出回らず、専門オークションが主な流通経路です。相場は個体の状態や来歴、時期によって大きく変動します。
Q. GT7では初心者でも扱えますか?
A. 扱いやすい部類です。パワーが飛び抜けていないため挙動が分かりやすく、失敗しても立て直せます。ただし後輪駆動なので、コーナーの途中でアクセルを開けすぎると滑ります。
Q. 先代の「Evo I」とはどう違うのですか?
A. 1989年のEvo Iは最高出力195PSでしたが、1990年のEvo IIは235PSまで引き上げられています。外観も、Evo IIのリアウイングはより大型かつ角度を可変式にでき、オーバーフェンダーもさらに張り出しました。1年で大きく進化したモデルということになります。
Evo IIは「勝つために売られた」車
- 502台限定のDTMホモロゲーションモデル。始まりはラリー計画で、頓挫した技術が市販車に転用された
- 巨大なウイングもフェンダーもグループA規則を満たすために市販車へ付けたもの
- エンジンはコスワースが手がけた2.5L直4。235PSを7,200回転で出す
- 宿敵はBMW M3(E30)。1990年デビュー、1992年にクラウス・ルートヴィヒがチャンピオン獲得
- 若き日のミハエル・シューマッハも1990〜1991年にEvo IIでDTMを走った
- 相場は数千万円〜1億円規模と報じられ、出物を待つ必要がある
- GT7なら一式10〜25万円で、今日から走らせられる
上品なセダンに、不釣り合いなほど大きな翼を付ける。普通に考えれば売れるはずのない車を、メルセデスは502台作って売りました。そうしなければレースに出られなかったからです。
ラリーで失敗した技術が、DTMでの勝利につながる。あの形には、そんな回り道の歴史があります。コスワースに設計を託した判断、AMGにレース仕様の仕上げを任せた体制、そして1993年にグループA規則そのものが姿を消したことで、Evo IIは「市販車の姿を色濃く残したまま頂点に立てた最後の世代」という、後からは作れない立ち位置を手に入れました。
それを知ってからGT7でハンドルを握ると、同じ1周がまるで違って感じられるはずです。










